*
*

おれたちのオン・ザ・ロード・アゲイン

On The Road

ずいぶん前の話だが、ケルアックの『路上』─On The Road─ の翻訳を試みたことがある。『路上』は河出書房新社より福田実氏の翻訳で文庫が出ているが、その翻訳が特に気に入らなかったからというわけでもない。むしろ大好きだ。しかし、あんまりにも好きな海外作家の本を思い募って自分の手で日本語に訳してみたい、そんな乙女心を君はわかってくれるだろうか?村上春樹がサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』を再翻訳して刊行したけれど、ぼくには彼の気持ちがなんとなくわかる。といってもぼくは白水社uブックス版が気に入っているし、村上春樹版は読んでいないんだけれど。

PENGUIN BOOKS版ペーパーバック『On The Road』の始まり。

I FIRST met Dean not long after my wife and I split up.

それが河出文庫版ではこう始まる。

はじめてディーンに会ったのは、ぼくが妻と別れて間もないころのことだ。

うんOK、では早速翻訳を始めようか。 …って思ったけど自分は英語苦手なんだ。からっきしなのさ。あれ、これどういう意味なんだろう?これでいいのかな?なんて感じでちっとも先に進まないよ。ダメだこりゃ!(@盆@)=3

結局ぼくは、当時ぼくのパートナーだったピー子の助けを借りることになった。彼女は翻訳にはうってつけの女だ。というのも彼女は英語の得意な才女だったし、あらゆることに対して献身的にぼくに尽くしてくれたからだ。

当時のぼくは最初に勤めた出版社を退職したばかりで、ちょっとした印刷仕事も請け負うフリーの編集者兼フリーライターという肩書きだった。といってもその頃のぼくといえば出版社勤務のあのハードな労働から解放されたばかりだったし、混沌とした女性関係やヤクザ絡みのトラブルなど当時のぼくが抱えていた、キチガイじみた様々なごたごたをいっぺんに清算したばかりの、心底まで疲弊しきった時期だったので、熱心に仕事をする気も起きず、ときどき友人関係から流れてくる細々とした広告などの仕事をポツリポツリとこなすほかは、生産的なことなんかくそくらえと毎日ぶらぶらと酔いどれたフーテンのように過ごしていた。

それに当時のぼくはアシッドで身体(というよりも実際には頭)を壊していたので、まともなことはほとんど出来ないひどい有様だったというのもある。たとえば自動販売機でコーラを買おうとボタンを押したらファンタが出てきてしまうくらい、ただのひとつもまともなことが出来なかったのだ。

いまでは壊した身体はすっかり回復したが、それでもまだ微かにフラッシュバックが残っているといえば残っている。たとえば座禅を組んでいる最中などに様々な幻想や幻覚が見えることもある。本来持っていないはずの記憶や感情が沸きあがるときもある。人から「狂ってる」と言われることも多い。うるさーい。

なるほど。いちど心の奥底の深淵を覗いた人間、つまり狂ってしまった人間が完全に元に戻ることはないのかも知れない。でもぼく自身は「そんなこともあるさ」と別段気にしてはいない。ヘイチャラだ。世の中には理解できないことも混沌としたままのこともたくさんあるのだし、それらすべての事象に真面目に付き合う必要もない。神秘は神秘のままにしておけばいい。ケルアックの言葉を借りれば「人はみな生きるために狂い、話すために狂い、救われようがために狂い」といったわけなのだから。

ぼくはドラッグであっちへ行ってしまったっきりの人間を何人も見てきた。ぼくに言わせれば彼らは真面目すぎたのだ。狂ったからといって必ずしも真面目に狂わなきゃいけないことなんかないのに。これはドラッグに限った話でもない。精神的なトラウマだとかPTSDだとかなんとかみんなそうだ。真面目に抱え込まないでもっと不真面目に、不謹慎になればいいのに。

『路上』の翻訳作業は彼女のアパートで、彼女といっしょ二人三脚で進めた。彼女が文節ごとに直訳に近い形で意味を教えてくれる。それをぼくがケルアックの文章本来のビート感を殺さぬように言葉にして行く。大事なのは疾走するリズムだ。文法や規則じゃない。

「どんどんやれよ。君のやることは、何でもみな偉大だよ」「よう、わっ、すること、書くことがずいぶんあるぞ!さらに そいつをみんなぶちまけて、しかも、手加減した遠慮とか、文学的抑制とか文法的心配といったようなためらいなんかはすっかり捨ててしまう方法を始めるには……」

ディーン・モリアーティが自宅で小説を書くサル・パラダイスの後ろでそう捲したてたように、そしてそれを啓示として、マシンガンのように思いつくままにぶっ続けでタイプライターを叩いたケルアックのように、ぼくらもそれに習った。蛍光灯嫌いの彼女の黄色い電灯が灯る六畳の部屋で、いっしょにパスタを食べながら笑いあったり、セックスをしたり、ときには喧嘩をしたりしながら。

しかし結局、ぼくらの『路上』は最後まで完成することはなかった。英語の苦手なぼくが、英語の得意な彼女を失ったからだ。男と女にはいろいろあるよ。そのことについて詳しく書こうと思えばきっと小説一本が書けてしまうくらい長くなるだろうから、今はとりたてて言いたくない。あの夏の出来事を適切な言葉で説明できるような文才を自分が持ち合わせていないのがちょっとくやしい。

ときどき、自分の今まで歩いてきた道を振り返る。

たくさんの過去、あらゆる思い出。太陽の沈む剥き出しの路上で、ゆっくりと歩きながら、過去の自分を考え、そしてまた過去の人々を思い、また顔を上げるとキッと歯を食いしばり、しかしすぐにそんな自分を笑い飛ばし、ぼくは前に進む。あらゆるものを笑い飛ばして、前に進む。

そちらの方向に行きさえすれば、どこかに、女の子も、あらゆるものも、きっと存在するのだ。その方向のどこかで、真珠が手に入るのだ。

【再掲】おれたちのオン・ザ・ロード・アゲイン(初出2007年8月17日)

Text tagged as: suzuki